はじめに:「防災」が、いま静かに変わりつつある

「防災」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、備蓄品を押し入れにしまい込み、年に一度の避難訓練に参加する——そんな「特別な備え」ではないでしょうか。

しかし近年、この常識を根本から問い直す考え方が注目を集めています。それが「フェーズフリー」です。日常と非常時の境界をなくし、ふだんの暮らしや事業そのものが、そのまま災害への備えになっている状態を目指す——この発想は、いま政府の防災政策の中枢にまで浸透し始めています。

この記事では、フェーズフリーとは何かをわかりやすく整理したうえで、行政の動きの本気度、そしてなぜこれが気候変動時代の企業経営に関わるのかを解説します。

フェーズフリーとは何か

フェーズフリーとは、身のまわりにあるモノやサービスを、日常時はもちろん、非常時にも役立つようにデザインしようという考え方です。(出典:一般社団法人フェーズフリー協会)

従来の防災用品は、ふだんはしまっておき、非常時にだけ取り出して使うものがほとんどでした。フェーズフリーはこの発想を逆転させます。いつもの生活で便利に使えるモノが、もしもの時にもそのまま役立つ。そうであれば、わざわざ「備える」という負担を感じることなく、結果として災害に強くなれる、という考え方です。「備えない防災」と表現されることもあります。

身近な例が、保存食のローリングストックです。ふだん食べている食品を少し多めに買い、消費した分を買い足していく。これだけで、特別な備蓄をしなくても、常に一定量の食料が家庭に確保されます。日常の行為が、そのまま非常時の備えになっている——これがフェーズフリーの基本的な発想です。

行政の本気度:防災庁の発足と、総理の国会答弁

平常時と非常時の両方に役立つインフラのイメージ

フェーズフリーは、一部の意識の高い人々の間で語られる理想論ではありません。いま、国の政策として明確に位置づけられつつあります。その動きを示す事実が、大きく2つあります。

防災庁の発足(2026年11月)

政府は、防災・災害対応の司令塔となる「防災庁」を、2026年11月1日に発足させる方針を決めています。防災庁は内閣直下の組織で、他の省庁に対して政策指導や助言をおこなう勧告権を持つ、強い権限を備えた組織です。(出典:内閣府 防災情報のページ/日本経済新聞)

縦割り行政の弊害を越え、政府全体で防災に取り組むための司令塔——それが防災庁です。そして、この防災庁が推進しようとしている中心的な考え方のひとつが、フェーズフリーなのです。

総理が国会で語った「フェーズフリー」

2026年5月14日、衆議院の災害対策特別委員会において、高市早苗内閣総理大臣は、フェーズフリーについて明確に言及しました。(出典:衆議院 災害対策特別委員会 会議録/2026年5月14日)

総理は、災害への備えを特別なこととして捉えるのではなく、平時と災害時の境界をなくし、さまざまな施設や設備を平常時・災害時の両面で活用できる設計にすることで、社会全体の防災力を高められるとの考えを示しました。そのうえで、防災庁の設置後は、関係省庁の施策にフェーズフリーの取り組みが浸透するよう努めていく意向を明らかにしています。

一国の総理が、国会という公式の場でこの言葉を用い、政府全体への浸透を明言した——この事実は、フェーズフリーが「流行の言葉」ではなく「国の方針」へと格上げされつつあることを示しています。同じ委員会では、防災担当大臣も、フェーズフリーの考え方を、国や自治体の訓練の指針となる総合防災訓練大綱に盛り込む方針を述べています。

2026年現在の防災対策は、どの段階にあるのか

では、日本の防災対策は現在どこまで進んでいるのでしょうか。ひとことで言えば、「制度の大きな転換点」にあります。

これまでの日本の防災は、地震や台風といった災害が起きるたびに対応を積み重ねてきました。しかし、南海トラフ巨大地震や首都直下地震といった、桁違いの規模の災害が現実味を帯びるなか、「起きてから対応する」発想では間に合わないという危機感が高まっています。

そこで進められているのが、防災庁の設置に象徴される「事前防災」への転換です。災害が起きる前に、社会のあらゆる仕組みに備えを織り込んでおく。その思想的な柱がフェーズフリーであり、フェーズフリー協会による認証制度を通じて、認証を受けた商品やサービスも増え続けています。自治体による導入も広がりつつあり、企業にとっては、防災が「コスト」ではなく「新しい市場」としても意識され始めている段階です。

めざすゴール:防災が「特別」でなくなる社会

フェーズフリーがめざす最終的なゴールは、明快です。それは、防災が「特別なこと」でなくなる社会です。

国土交通省の都市計画にも、文部科学省の学校施設の整備にも、厚生労働省の福祉施設にも、あらゆる政策に「平時の暮らしと災害への備えがどうつながっているか」という視点が、当たり前のように組み込まれている。防災を意識しなくても、日常を送るだけで自然と備えができている。そうした状態こそが目標とされています。

象徴的な事例として国会でも紹介されたのが、津波避難タワーを平常時はレストランとして活用するという発想です。家族が食事に出かけるだけで、自然と避難経路をたどる予行演習になっている。特別な訓練をしなくても、日常の行動が備えになる——これがフェーズフリーの理想を体現した姿です。

数年後、防災庁の取り組みが各省庁に浸透していけば、私たちの身のまわりの製品・建物・サービスの多くが、意識しないうちにフェーズフリー設計になっている。そんな社会が目標に据えられています。

カーボンニュートラルとの関係:気候変動時代の「2つの備え」

ここで、一見すると別分野に見える「脱炭素」との関係を整理しておきます。日本政府は2020年、2050年カーボンニュートラル(ネットゼロ)を宣言しました。(出典:外務省「日本の排出削減目標」)フェーズフリーと、このカーボンニュートラルは、直接の制度としてつながっているわけではありません。しかし、企業の視点で見ると、両者は「気候変動時代の企業がとるべき2つの備え」として、きれいに整理できます。

気候変動対策には、大きく分けて2つのアプローチがあります。ひとつは、温室効果ガスの排出を減らして気候変動そのものを食い止める「緩和」。カーボンニュートラルは、まさにこの緩和の代表です。もうひとつは、すでに起きつつある気候変動の影響に備える「適応」です。(詳しくは緩和策・適応策の違いで整理しています)

問題は、どれだけ緩和を進めても、これまで排出されてきた温室効果ガスの影響で、気候変動による災害の激甚化はしばらく避けられないという点です。だからこそ「適応」が欠かせません。そして、フェーズフリーは、この適応を「特別な防災」としてではなく「日常に溶け込んだ備え」として実現する、最新のアプローチと位置づけることができます。

つまり企業にとって、カーボンニュートラル(緩和=減らす)とフェーズフリー(適応=備える)は、気候変動という同じ大きな課題に対する、車の両輪なのです。

これからの企業・人材に求められる視点

フェーズフリーを踏まえた企業のレジリエンス経営のイメージ

こうした流れは、企業の担当者にとって何を意味するのでしょうか。

防災が「総務部の特別な仕事」から「あらゆる部門の日常業務に織り込むべき視点」へと変わっていくということです。商品開発ならフェーズフリー設計を、施設管理なら平常時と災害時の両用を、人事なら社員のレジリエンス(回復力)を——それぞれの現場で、日常と非常時をつなぐ発想が求められるようになります。

そのためにまず必要なのは、社員一人ひとりが「なぜ今それが必要なのか」を、自分の言葉で理解していることです。気候変動、脱炭素、そして防災。これらを断片的な知識としてではなく、「これからの社会でどうつながっていくのか」という大きな文脈で捉えられる人材が、これからの企業の強みになります。

まとめ:トレンドの「その先」を見据える

フェーズフリーは、防災を「特別な備え」から「日常の一部」へと変える考え方です。総理が国会で言及し、2026年11月発足の防災庁が推進の柱に据えるなど、いまや国の方針として動き出しています。

そして企業の視点で見れば、カーボンニュートラル(緩和)とフェーズフリー(適応)は、気候変動時代に企業がとるべき2つの備えとして一本の線でつながります。トレンドを追いかけるのではなく、その根底にある大きな流れを理解し、自社の事業や人材育成に先んじて取り込んでいく。それが、これからの時代の企業に求められる姿勢だといえるでしょう。

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よくある質問

  1. Q. フェーズフリーと防災は何が違うのですか?

    A. 従来の防災が「非常時のための特別な備え」であるのに対し、フェーズフリーは「日常で使うモノやサービスが、そのまま非常時にも役立つ」ようにする考え方です。備えることの負担をなくし、日常の延長線上に備えがある状態を目指す点が大きな違いです。

  2. Q. フェーズフリーは国の政策になっているのですか?

    A. はい。2026年11月発足予定の防災庁が推進する中心的な考え方のひとつとされ、高市総理も2026年5月の国会答弁で、関係省庁の施策に浸透させる意向を示しています。国や自治体の訓練指針である総合防災訓練大綱への反映も進められています。

  3. Q. カーボンニュートラルとフェーズフリーは関係がありますか?

    A. 直接の制度的な関係はありませんが、企業の視点では「気候変動への2つの備え」として整理できます。カーボンニュートラルは気候変動を食い止める「緩和」、フェーズフリーは災害の影響に備える「適応」にあたり、両者は車の両輪の関係にあります。

  4. Q. 企業はフェーズフリーにどう取り組めばよいですか?

    A. まずは、防災を特別な業務ではなく各部門の日常に織り込む視点を持つことが出発点です。そのためには、社員が気候変動・脱炭素・防災のつながりを自分の言葉で理解していることが重要で、体系的に学べる研修が有効です。

参考一次情報

・一般社団法人フェーズフリー協会「フェーズフリーとは」
・衆議院 災害対策特別委員会 第9号 会議録(令和8年5月14日)
・外務省「日本の排出削減目標」